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「求道か、さもなくば頽廃か」という時代2 偉大なる生存の報告 Part328
▼ページ最下部
ネットやSNSの普及と共に、世界中の平均知能がより下がってしまったとは、
すでにノルウェーの研究機関などが通告している現象であるけれども。
知能に限らず、近年の人類の心技体全方面における頽廃化には目に余るものがある。
ネットの普及がさような悪影響を人類に及ぼした内情はといえば、
人々が生きて行く上での求道性が何もかも削がれてしまうほどにも、
何もかもが簡便に済ませられるようになったのがそれであろうと思われる。
元来、人間という生き物はただ生活して、働いて生計を立てて行くためにだけでも、
相応な求道性が必要とされていたために、そこを十分にこなしているだけでも、
人としての十分な成長を遂げた「大人」らしくなり得たのである。
しかし、今はもうそんな所にはなんらの求道性もなく、ただ生きて行くだけなら
子供も同然の未熟さのままでも何もかもが済ませられるようになった。
ネットという文明の利器をあえて破棄して昔に戻るわけでもないままに、
これからの人類が見るに大人らしくて、諸々の能力性にも満ちた状態で
あり続けるためには、ただ生きるのではなく、そこにあえて何らかの
求道性を持ち込んで行こうとする心がけを必ず伴わせるのでなければならない。
本格の仏道修行なり武芸なりの古来の取り組みに頼るのでも、その他の新規の手段に
頼るのでも、何らかの取り組みがなければならない。そしてまずはなんといっても、
「求道」という行為全般への、過去の遺物扱いからの脱却が先決ともなる。

すでにノルウェーの研究機関などが通告している現象であるけれども。
知能に限らず、近年の人類の心技体全方面における頽廃化には目に余るものがある。
ネットの普及がさような悪影響を人類に及ぼした内情はといえば、
人々が生きて行く上での求道性が何もかも削がれてしまうほどにも、
何もかもが簡便に済ませられるようになったのがそれであろうと思われる。
元来、人間という生き物はただ生活して、働いて生計を立てて行くためにだけでも、
相応な求道性が必要とされていたために、そこを十分にこなしているだけでも、
人としての十分な成長を遂げた「大人」らしくなり得たのである。
しかし、今はもうそんな所にはなんらの求道性もなく、ただ生きて行くだけなら
子供も同然の未熟さのままでも何もかもが済ませられるようになった。
ネットという文明の利器をあえて破棄して昔に戻るわけでもないままに、
これからの人類が見るに大人らしくて、諸々の能力性にも満ちた状態で
あり続けるためには、ただ生きるのではなく、そこにあえて何らかの
求道性を持ち込んで行こうとする心がけを必ず伴わせるのでなければならない。
本格の仏道修行なり武芸なりの古来の取り組みに頼るのでも、その他の新規の手段に
頼るのでも、何らかの取り組みがなければならない。そしてまずはなんといっても、
「求道」という行為全般への、過去の遺物扱いからの脱却が先決ともなる。

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>>203
南無阿弥陀仏を唱えれば、死後に阿弥陀仏に救われると言う絵空事が正にカルトそ
のものだが(法華の創価学会や壺商法と同断)、それは信仰の自由だから良いとして、
これまで延々と問い続けたのに、なぜ最初から念仏信者と言わなかった?呪文を唱え
れば阿弥陀仏という超能力者によって救われるという宗教が、どうして小乗仏教(釈
迦の教えを実践することによって、人間の苦悩の原因となる執着から解脱しようとい
う宗教)を批判できるんだ?どこに合理性がある?
>>205
何がいた?不滅の霊魂か?釈迦の教えの大原則である諸行無常(すべては移り変わる、
永遠の存在はない)を蔑ろにする、まさにカルト宗教だな。そんな馬鹿話で、これを
誤魔化すつもりか?それが念仏信者のやり口か?
193 ゼプチシャン 2025/05/05(月) 12:26:38 ID:op6iJMW40k
聞き捨てならないウソをつきまくっているな。「デタラメな発言をするな」
「自分の発言に責任を持て(故に自分の発言に対する質問に答えなさい)」
とは言ったが、「自分独自の考えを捨ろ」「俺の考えに従え」一体いつどこ
で言ったんだ?
南無阿弥陀仏を唱えれば、死後に阿弥陀仏に救われると言う絵空事が正にカルトそ
のものだが(法華の創価学会や壺商法と同断)、それは信仰の自由だから良いとして、
これまで延々と問い続けたのに、なぜ最初から念仏信者と言わなかった?呪文を唱え
れば阿弥陀仏という超能力者によって救われるという宗教が、どうして小乗仏教(釈
迦の教えを実践することによって、人間の苦悩の原因となる執着から解脱しようとい
う宗教)を批判できるんだ?どこに合理性がある?
>>205
何がいた?不滅の霊魂か?釈迦の教えの大原則である諸行無常(すべては移り変わる、
永遠の存在はない)を蔑ろにする、まさにカルト宗教だな。そんな馬鹿話で、これを
誤魔化すつもりか?それが念仏信者のやり口か?
193 ゼプチシャン 2025/05/05(月) 12:26:38 ID:op6iJMW40k
聞き捨てならないウソをつきまくっているな。「デタラメな発言をするな」
「自分の発言に責任を持て(故に自分の発言に対する質問に答えなさい)」
とは言ったが、「自分独自の考えを捨ろ」「俺の考えに従え」一体いつどこ
で言ったんだ?
管理人は、ここでの宗教戦争状態の話で、一方に肩入れするような
既成事実が出来上がってしまうのも恐れているのかもしれないが、
そこは完全にいったん抜きにして、ただ不法行為を排することに専念せられたい。
ただし悪口雑言は、侮辱罪としても名誉棄損罪としても親告罪であり、
なおかつその被害者である俺が訴えないと明言しているので、排除理由にしてはいけない。
ひとえにストーカー行為や冤病行為(医師法違反、暴行、傷害に該当)のような、
非親告罪の刑法違反の公正な排除のみを期待します。
既成事実が出来上がってしまうのも恐れているのかもしれないが、
そこは完全にいったん抜きにして、ただ不法行為を排することに専念せられたい。
ただし悪口雑言は、侮辱罪としても名誉棄損罪としても親告罪であり、
なおかつその被害者である俺が訴えないと明言しているので、排除理由にしてはいけない。
ひとえにストーカー行為や冤病行為(医師法違反、暴行、傷害に該当)のような、
非親告罪の刑法違反の公正な排除のみを期待します。
>>215
さあ、お前の希望通り「理詰めの論及」をやろう。以下はあくまで自分の意見だ。
地蔵の意見は?異論は?反論は?それとも言われてみればその通りか?
>>203
南無阿弥陀仏を唱えれば、死後に阿弥陀仏に救われると言う絵空事が正にカルトそ
のものだが(法華の創価学会や壺商法と同断)、それは信仰の自由だから良いとして、
これまで延々と問い続けたのに、なぜ最初から念仏信者と言わなかった?呪文を唱え
れば阿弥陀仏という超能力者によって救われるという宗教が、どうして小乗仏教(釈
迦の教えを実践することによって、人間の苦悩の原因となる執着から解脱しようとい
う宗教)を批判できるんだ?どこに合理性がある?
>>205
何がいた?不滅の霊魂か?釈迦の教えの大原則である諸行無常(すべては移り変わる、
永遠の存在はない)を蔑ろにする、まさにカルト宗教だな。そんな馬鹿話で、これを
誤魔化すつもりか?それが念仏信者のやり口か?
さあ、お前の希望通り「理詰めの論及」をやろう。以下はあくまで自分の意見だ。
地蔵の意見は?異論は?反論は?それとも言われてみればその通りか?
>>203
南無阿弥陀仏を唱えれば、死後に阿弥陀仏に救われると言う絵空事が正にカルトそ
のものだが(法華の創価学会や壺商法と同断)、それは信仰の自由だから良いとして、
これまで延々と問い続けたのに、なぜ最初から念仏信者と言わなかった?呪文を唱え
れば阿弥陀仏という超能力者によって救われるという宗教が、どうして小乗仏教(釈
迦の教えを実践することによって、人間の苦悩の原因となる執着から解脱しようとい
う宗教)を批判できるんだ?どこに合理性がある?
>>205
何がいた?不滅の霊魂か?釈迦の教えの大原則である諸行無常(すべては移り変わる、
永遠の存在はない)を蔑ろにする、まさにカルト宗教だな。そんな馬鹿話で、これを
誤魔化すつもりか?それが念仏信者のやり口か?

有難いことではあるが、あんまり無理せんでくれな。
近所のおばちゃんが入れてくれたカルピスなみに、主題に沿った話量が薄い。
これでは次スレも同じ主題で立てるしかないが、そこでストーカーの荒らしが
排除されるとも限らないし、健全な言論活動が阻害されているとはやはり感じる。
この世の中には、話し合いよりも実力行使でしか対処できないような人種というのが、残念ながらいる。
その理由は、意見が致命的に合わないせいな場合もあれば、話し合いで分かり合えるだけの知能や情操が
具わっていないせいな場合もある。そんな相手がこの世には遍在するものだと仏法も認めているからこそ、
人間が生きる以上は避けられない苦しみ、四苦八苦の中に、怨憎会苦を含んでいたりもするのである。
ゆえに、特に昔の武家は、言い争いの喧嘩などを御法度とし、妄りに及ぶ者には両成敗が加えられた。
なんでも話し合えば分かり合えるなんてのは幻想にすぎないという、強固な現実主義に即した取り決め。
話し合いというのはあくまで、ある程度は分かり合える素養がある相手と共にのみ。
内輪だけでの甘やかし合いなどを欲するからではなく、言葉というものを最大限有効活用していく
合理性の確保のためにこそ、それを心掛けるのでなければならないのである。
>>231
だから、その話し合いをしようと言っているのだが。
さあ、お前の希望通り「理詰めの論及」をやろう。以下はあくまで自分の意見だ。
地蔵の意見は?異論は?反論は?それとも言われてみればその通りか?
>>203
南無阿弥陀仏を唱えれば、死後に阿弥陀仏に救われると言う絵空事が正にカルトそ
のものだが(法華の創価学会や壺商法と同断)、それは信仰の自由だから良いとして、
これまで延々と問い続けたのに、なぜ最初から念仏信者と言わなかった?呪文を唱え
れば阿弥陀仏という超能力者によって救われるという宗教が、どうして小乗仏教(釈
迦の教えを実践することによって、人間の苦悩の原因となる執着から解脱しようとい
う宗教)を批判できるんだ?どこに合理性がある?
>>205
何がいた?不滅の霊魂か?釈迦の教えの大原則である諸行無常(すべては移り変わる、
永遠の存在はない)を蔑ろにする、まさにカルト宗教だな。
だから、その話し合いをしようと言っているのだが。
さあ、お前の希望通り「理詰めの論及」をやろう。以下はあくまで自分の意見だ。
地蔵の意見は?異論は?反論は?それとも言われてみればその通りか?
>>203
南無阿弥陀仏を唱えれば、死後に阿弥陀仏に救われると言う絵空事が正にカルトそ
のものだが(法華の創価学会や壺商法と同断)、それは信仰の自由だから良いとして、
これまで延々と問い続けたのに、なぜ最初から念仏信者と言わなかった?呪文を唱え
れば阿弥陀仏という超能力者によって救われるという宗教が、どうして小乗仏教(釈
迦の教えを実践することによって、人間の苦悩の原因となる執着から解脱しようとい
う宗教)を批判できるんだ?どこに合理性がある?
>>205
何がいた?不滅の霊魂か?釈迦の教えの大原則である諸行無常(すべては移り変わる、
永遠の存在はない)を蔑ろにする、まさにカルト宗教だな。

「こいつら絶対に分かり合えねえな」と思わされる場面が多々あるし、
アメリカだって今まさに、分かり合えない連中との分かり合いなんか、
ハナっから諦め去ってるような男が大統領になっている最中である。
陰惨なのは、何もかもをできる限り話し合いで解決して行くことを本分とする、
議会制民主主義の国でそういった事態が頻発しているところで、
特に今のアメリカなどは朽木のごとき形骸化を来している部分だといえる。
話し合い以前に、この世に度を越した極度の不平等があり、そのせいで
「やるかやられるか」の不倶戴天な人間関係が生じてしまっている以上は、
そういう者同士の間に致命的な意見の相違が生じ、どんなに話し合ったところで
絶対に分かり合えないような事態を必ず招いてしまうものである。
ゆえに、何もかも話せばわかるというのも、基本的には幻想でしかなく、
仮に世の中の平等化が十分に行き届いて、不倶戴天の関係が解消されたなら、
今度はわざわざ話し合いで問題を解決しようとする必要性のほうが立ち消えになる。
そもそも論議というのは、論争の域に達した時点で、もはや無益である所以。
ある程度は意見が一致している者同士が、その意見をより洗練させて行くことを
目的として話し合うのでもなければ、人間は黙ってたほうがいい生き物なのである。
>>235
地蔵の意見を聞かない内は、分かり合えるかどうかすらも分からない。
まだ議論の入り口にすら入っていない状態だ。さあ、お前の希望通り
「理詰めの論及」をやろう。以下はあくまで自分の意見だ。
地蔵の意見は?異論は?反論は?それとも言われてみればその通りか?
>>203
南無阿弥陀仏を唱えれば、死後に阿弥陀仏に救われると言う絵空事が正にカルトそ
のものだが(法華の創価学会や壺商法と同断)、それは信仰の自由だから良いとして、
これまで延々と問い続けたのに、なぜ最初から念仏信者と言わなかった?呪文を唱え
れば阿弥陀仏という超能力者によって救われるという宗教が、どうして小乗仏教(釈
迦の教えを実践することによって、人間の苦悩の原因となる執着から解脱しようとい
う宗教)を批判できるんだ?どこに合理性がある?
>>205
何がいた?不滅の霊魂か?釈迦の教えの大原則である諸行無常(すべては移り変わる、
永遠の存在はない)を蔑ろにする、まさにカルト宗教だな。
地蔵の意見を聞かない内は、分かり合えるかどうかすらも分からない。
まだ議論の入り口にすら入っていない状態だ。さあ、お前の希望通り
「理詰めの論及」をやろう。以下はあくまで自分の意見だ。
地蔵の意見は?異論は?反論は?それとも言われてみればその通りか?
>>203
南無阿弥陀仏を唱えれば、死後に阿弥陀仏に救われると言う絵空事が正にカルトそ
のものだが(法華の創価学会や壺商法と同断)、それは信仰の自由だから良いとして、
これまで延々と問い続けたのに、なぜ最初から念仏信者と言わなかった?呪文を唱え
れば阿弥陀仏という超能力者によって救われるという宗教が、どうして小乗仏教(釈
迦の教えを実践することによって、人間の苦悩の原因となる執着から解脱しようとい
う宗教)を批判できるんだ?どこに合理性がある?
>>205
何がいた?不滅の霊魂か?釈迦の教えの大原則である諸行無常(すべては移り変わる、
永遠の存在はない)を蔑ろにする、まさにカルト宗教だな。

地獄餓鬼畜生の三悪道に堕する者には仏の声も聞こえないとされ、
言葉だけで亡者を救ったりすることの不能性が定立されている。
性善論の提唱者である孟子だって、人間の本性が善であるというだけで、
まるで月が雲に覆い隠されるが如く、その本性が情念の濁悪に覆い隠されることで、
人が暫定的な悪人と化してしまうようなことがあるのは元から認めている。
人が話し合うことに価値が生じるとすれば、自らは人天仏の域にあるような善人同士が、
(十分にその降伏下におかれた修羅道の徒などもまた、一応はその内に含まれ得る)
悪道の亡者をどうやって救っていくかを論じ合ったりする所にこそあるといえる。
亡者への済度自体は言葉ではなく、より直接的な何らかの行いによるべきである。
言葉だけでは渇きを癒すことも、腹を満たしてやれることもないのだから、当然のこと。
ゆえに、人が机上の空論なんかに終始していていい正当性なんてのもありはしない。
行いで亡者を救っていけるだけの、自己向上の求道の必要性もまたいくらでもあるのだと、
いまだ言語道断の域にあるような亡者の健在こそが、証してくれているのである。
>>238
往生要集とか、必死だな。死後の世界に地獄道、餓鬼道、畜生道があると思っているのか?
亡者を救う?だれもお前に救ってもらおうとは思っていないから安心しろ。まさか自分の意
見を言うのが怖いのか?いや、流石にそれはないだろう。さあ、お前の希望通り「理詰めの
論及」をやろう。以下はあくまで自分の意見だ。地蔵の意見は?異論は?反論は?それとも
言われてみればその通りか?
>>203
南無阿弥陀仏を唱えれば、死後に阿弥陀仏に救われると言う絵空事が正にカルトそ
のものだが(法華の創価学会や壺商法と同断)、それは信仰の自由だから良いとして、
これまで延々と問い続けたのに、なぜ最初から念仏信者と言わなかった?呪文を唱え
れば阿弥陀仏という超能力者によって救われるという宗教が、どうして小乗仏教(釈
迦の教えを実践することによって、人間の苦悩の原因となる執着から解脱しようとい
う宗教)を批判できるんだ?どこに合理性がある?
>>205
何がいた?不滅の霊魂か?釈迦の教えの大原則である諸行無常(すべては移り変わる、
永遠の存在はない)を蔑ろにする、まさにカルト宗教だな。
往生要集とか、必死だな。死後の世界に地獄道、餓鬼道、畜生道があると思っているのか?
亡者を救う?だれもお前に救ってもらおうとは思っていないから安心しろ。まさか自分の意
見を言うのが怖いのか?いや、流石にそれはないだろう。さあ、お前の希望通り「理詰めの
論及」をやろう。以下はあくまで自分の意見だ。地蔵の意見は?異論は?反論は?それとも
言われてみればその通りか?
>>203
南無阿弥陀仏を唱えれば、死後に阿弥陀仏に救われると言う絵空事が正にカルトそ
のものだが(法華の創価学会や壺商法と同断)、それは信仰の自由だから良いとして、
これまで延々と問い続けたのに、なぜ最初から念仏信者と言わなかった?呪文を唱え
れば阿弥陀仏という超能力者によって救われるという宗教が、どうして小乗仏教(釈
迦の教えを実践することによって、人間の苦悩の原因となる執着から解脱しようとい
う宗教)を批判できるんだ?どこに合理性がある?
>>205
何がいた?不滅の霊魂か?釈迦の教えの大原則である諸行無常(すべては移り変わる、
永遠の存在はない)を蔑ろにする、まさにカルト宗教だな。

全然見ていなかったが、酷いなこの画像は。まるで奇違い曼荼羅だ。しかもこのバカ、
調子に乗って噓八百の出鱈目を撒き散らしかしている。日本がヨーロッパや西アジアの
諸国と比較して比較的平穏だったのは、島国で他国の干渉を受けにくい地理的環境にあ
ったからだ。小学生でも知っている常識だ。その日本でも、中興の祖と呼ばれる蓮如の
政治力によって浄土真宗が全国に普及した室町時代末期には、教団がカルト化して(死
ねば極楽浄土に生まれ変われると信じて死を恐れない集団と化して)全国各地であえて
無謀な一揆をおこし、無辜の農民たちが無残にも大量虐殺された。カルト集団の一揆を
徹底弾圧して、完全に教団を骨抜きにし、真の安定した政治を実現したのが徳川氏の江
戸幕府だ。
「世界一敬虔な大乗仏教国だった頃の日本が、世界一上質な歴史を築いた」
これがクソ白痴の実態です。消えてしまわれましたが、「笠地蔵さんをいじめないで下さい」
と訴えておられた150の名無し様、これは決してイジメではありません。教育、矯正、躾の
一環です。根気のいる作業ですが、本人のためにも放置するわけにはいきません。これか
らも引き続き取り組んでまいる所存です。
(呆)笑
>>251
逃げて許されることか、犯罪者。返事。
193 ゼプチシャン 2025/05/05(月) 12:26:38 ID:op6iJMW40k
>>192
聞き捨てならないウソをつきまくっているな。「デタラメな発言をするな」
「自分の発言に責任を持て(故に自分の発言に対する質問に答えなさい)」
とは言ったが、「自分独自の考えを捨ろ」「俺の考えに従え」一体いつどこ
で言ったんだ?
>>251
お前が言い出した話だ。お前の希望通り「理詰めの論及」をやろう。以下はあくまで自分の意見だ。
地蔵の意見は?異論は?反論は?それとも言われてみればその通りか?
>>203
南無阿弥陀仏を唱えれば、死後に阿弥陀仏に救われると言う絵空事が正にカルトそ
のものだが(法華の創価学会や壺商法と同断)、それは信仰の自由だから良いとして、
これまで延々と問い続けたのに、なぜ最初から念仏信者と言わなかった?呪文を唱え
れば阿弥陀仏という超能力者によって救われるという宗教が、どうして小乗仏教(釈
迦の教えを実践することによって、人間の苦悩の原因となる執着から解脱しようとい
う宗教)を批判できるんだ?どこに合理性がある?
>>205
何がいた?不滅の霊魂か?釈迦の教えの大原則である諸行無常(すべては移り変わる、
永遠の存在はない)を蔑ろにする、まさにカルト宗教だな。
逃げて許されることか、犯罪者。返事。
193 ゼプチシャン 2025/05/05(月) 12:26:38 ID:op6iJMW40k
>>192
聞き捨てならないウソをつきまくっているな。「デタラメな発言をするな」
「自分の発言に責任を持て(故に自分の発言に対する質問に答えなさい)」
とは言ったが、「自分独自の考えを捨ろ」「俺の考えに従え」一体いつどこ
で言ったんだ?
>>251
お前が言い出した話だ。お前の希望通り「理詰めの論及」をやろう。以下はあくまで自分の意見だ。
地蔵の意見は?異論は?反論は?それとも言われてみればその通りか?
>>203
南無阿弥陀仏を唱えれば、死後に阿弥陀仏に救われると言う絵空事が正にカルトそ
のものだが(法華の創価学会や壺商法と同断)、それは信仰の自由だから良いとして、
これまで延々と問い続けたのに、なぜ最初から念仏信者と言わなかった?呪文を唱え
れば阿弥陀仏という超能力者によって救われるという宗教が、どうして小乗仏教(釈
迦の教えを実践することによって、人間の苦悩の原因となる執着から解脱しようとい
う宗教)を批判できるんだ?どこに合理性がある?
>>205
何がいた?不滅の霊魂か?釈迦の教えの大原則である諸行無常(すべては移り変わる、
永遠の存在はない)を蔑ろにする、まさにカルト宗教だな。

少しはスレの趣旨にも即した話でもをば。
まるで、富士山の稜線が海抜0メートル近い起点から始まって、緩やかかつ着実に
3776メートルの頂上にまで上り詰めていくがごとく、大乗の道もまた然り。
世界にはもっと高い山もあれど、起点が海抜0よりもはるかに高かったり、
もはや人間が住むことも、長期滞在も能わぬほどの酸素濃度だったりして、
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と形容せざるを得なかったりするものである。
富士山系ですら、大多数の人々が住まうのは海抜0に近い平地付近で、頂上はおろか、
内陸部の麓にすら、自殺の名所などとしても知られる鬱蒼とした樹海が生い茂っている。
それが人の世の常にも大変合致したあり方であり、むしろ最底辺付近に至るまで、
求道のための霊山の一部であることこそが、衆生教化の要ともいえるあり方だといえる。
「富士山に1度も登らぬ馬鹿、2度登る馬鹿」なんていう格言もあるものだが、
求道を窮めることばかりに躍起になるよりかは、それなりに嗜んでおくぐらいのほうが
賢明といった風にも捉えられようか。これはより儒家寄りの考え方ともなろうが。

山頂に忘れたスマホを取りに戻って二度捜索隊(税金)を呼ぶなど、
ちょっと日本人ならあり得ないような羽目の外しようであるものが多い。
富士山が修験者しか立ち入りも許されないほど厳格な霊山扱いだったのも、
もう遠い昔の話で、生きてるうちに霊山としての富士山への敬意を意識的に
抱くような日本人もそう多くはないのでがあるが、やはり多少なりとも、
外国人よりかはまだある種の敬意などを抱いていたことに気づかされる。
大乗による日本人への教化などもこれと同じで、もはや葬式か法事ぐらい
でしか仏門とかかわることがないのであっても、やはり外国人などよりかは、
念仏などによって育まれてきた心からの求道癖が深く根付いたままでいる。
犯罪率の低さもあって、日本人が殺人事件に遭遇したりするのもごく稀なわけだが、
以前に、治安がいいからといって日本に移住してきたブラジル人が、その直後に
スリランカ人(上座部仏教の国)に強殺されるなんて事件もあったという。
日本という国の最高度な治安の良さもまた、土地柄ではなく、古来より大乗の
教化を受けることで高い倫理観を育んできた人柄こそが支えているのである。

むしろ何かをしないこと(止持戒の実践)が先にあるのでなければならぬ。
その中でも特に、いつの時代も法律によって処罰されるような域の、
社会的な重罪を犯さないというのが、実践的求道としても初歩中の初歩となるものである。
強殺、強姦、窃盗、詐欺、横領、ストーキングなど、その手の重罪に付きもなのが、
何かを欲しがるような欲望に負けて犯してしまう条件を満たしている点である。
孔子も「心が弱い者は欲に負ける(公冶長第五・一一)」といわれてるし、
それは実際そうだよねと、少しでも我慢をしたことがある人なら実感的に理解できるものだが。
日本人はその手の心の強さに長けるからこそ、国を挙げての治安も非常に高い。
アメリカや中南米などはそういう心の強さを持ち合わせている人間が特に少ないから、
大男だらけで軍事大国や格闘技大国だろうとも、同時に犯罪大国でしかいられない。
我慢、堪忍という、人間にとって最も基本的な部分からの求道を、
知らず知らずのうちから積み重ねてきたが故に、そんな格差が生じてもいる。
よく「お天道様が見てる」という神道的な解釈で、日本人の倫理観の高さを説明しようとする
向きもあるが、日本人に絶対神信仰などはないから、それで神罰を受けるなんて恐れもない。
やはりそれぞれの心中からの求道性が旺盛なればこそ克ち得てきたものと見なすべきなのである。

日本で最大級の仏門流派であり続けているのにもかかわらず、
その日本こそが出家修行主義な上座部の国などよりも
治安や民度が高かったりするのも、そこに最も根本的な部分から、
我慢や堪忍の心を育んで行く求道性が具わっているからである。
その日本でも、残念ながら近ごろ増えてきてる、堪忍の方面での弱者。
俺がオナニーメンタル顔貌などと呼んでいる、眉間が荒野のようにノッペリと
広がった後天的顔貌の持ち主たちもまさにその典型例で、これはまともにモノを
真面目に考えたことがないが故に、我慢なんかもまともにできたことがない人相である。
我慢の心などを育んだことがないから、衝動で殺人なんかも犯してしまう。
欲に負けて闇バイトや特殊詐欺などにも手を出して、時には東南アジアの
上座部国に逃亡したり、逆に誘拐されて行ったりもしてしまう。

超長期の引きこもりで、いい女とやりたい願望タラタラでいながらも、
そこからの暴発への衝動をグッと堪え続けてきた否定派がオナメン顔貌ではない一方、
キャンパスで強姦まがいや強姦そのものな女漁りを繰り返している慶応生などは、
高学歴扱いであるのにもかかわらずオナメン顔貌だらけだったりするように、
今の日本の教育やステータスなどが、人々の我慢弱さによるオナメン化を
助長していることこそあれど、少しだって抑える方向に与してきた試しもない。
無戒律の浄土門でいながら、カルトじみた布教をしていた息子を不孝者として義絶した
親鸞聖人などは、明らかにオナメン顔貌ではなかったらしい肖像画で描かれることが多い。
(本当にそうだったかはともかくとして、念仏者はこういう人相を目指すべきとされているのである)
やはりそちらのほうに、日本人にオナメン並みの心の弱さを許さぬ潮流の源流があったのである。
>>281
(>>253)を見て向きになり、今度は強気の姿を見せようと大張り切りでゴミレスを書き散
らした白痴馬鹿。得意の話題を振られれば得々と語りまくり、IQ160と言われれば真に受け
て「いやそれ程でも」と照れ笑い。餓鬼道の下に白痴道を作って収監してやろうか。念仏者
なみの心の求道?呪文を唱えれば死後の世界で救われる、それが念仏宗。よりによってカル
トの中のカルトじゃないか。オウムと全く同じじゃないか。
これもお前が言い出した話だ。お前の希望通り「理詰めの論及」をやろう。以下はあくまで
自分の意見だ。地蔵の意見は?異論は?反論は?それとも言われてみればその通りか?
>>203
南無阿弥陀仏を唱えれば、死後に阿弥陀仏に救われると言う絵空事が正にカルトそ
のものだが(法華の創価学会や壺商法と同断)、それは信仰の自由だから良いとして、
これまで延々と問い続けたのに、なぜ最初から念仏信者と言わなかった?呪文を唱え
れば阿弥陀仏という超能力者によって救われるという宗教が、どうして小乗仏教(釈
迦の教えを実践することによって、人間の苦悩の原因となる執着から解脱しようとい
う宗教)を批判できるんだ?どこに合理性がある?
>>205
何がいた?不滅の霊魂か?釈迦の教えの大原則である諸行無常(すべては移り変わる、
永遠の存在はない)を蔑ろにする、まさにカルト宗教だな。
(>>253)を見て向きになり、今度は強気の姿を見せようと大張り切りでゴミレスを書き散
らした白痴馬鹿。得意の話題を振られれば得々と語りまくり、IQ160と言われれば真に受け
て「いやそれ程でも」と照れ笑い。餓鬼道の下に白痴道を作って収監してやろうか。念仏者
なみの心の求道?呪文を唱えれば死後の世界で救われる、それが念仏宗。よりによってカル
トの中のカルトじゃないか。オウムと全く同じじゃないか。
これもお前が言い出した話だ。お前の希望通り「理詰めの論及」をやろう。以下はあくまで
自分の意見だ。地蔵の意見は?異論は?反論は?それとも言われてみればその通りか?
>>203
南無阿弥陀仏を唱えれば、死後に阿弥陀仏に救われると言う絵空事が正にカルトそ
のものだが(法華の創価学会や壺商法と同断)、それは信仰の自由だから良いとして、
これまで延々と問い続けたのに、なぜ最初から念仏信者と言わなかった?呪文を唱え
れば阿弥陀仏という超能力者によって救われるという宗教が、どうして小乗仏教(釈
迦の教えを実践することによって、人間の苦悩の原因となる執着から解脱しようとい
う宗教)を批判できるんだ?どこに合理性がある?
>>205
何がいた?不滅の霊魂か?釈迦の教えの大原則である諸行無常(すべては移り変わる、
永遠の存在はない)を蔑ろにする、まさにカルト宗教だな。

高尚すぎる教えばかりに帰依して問題を招くようなことはあってな。
たとえば、香川県っていうのは、四国八十八か所霊場の一部なうえに、
御大師様の故郷なこともあって、当然のことながら真言宗が非常に盛ん。
最澄のような朝廷推薦の高僧にも抜きんでて、唐への留学で最高の成果を挙げ、
日本史上最高の高僧となった御大師様に続けと、今でも最上級に学問が盛ん。
平均知能も全国でもトップクラスで、国民民主の玉木みたいな、
東大もハーバードも出るようなエリートも多数輩出してるんだが。
その裏手には、大変なスパルタ教育の内輪での蔓延などもあり、
子供のゲーム時間を制限する条例の制定などもその端緒となっている。

ドロップアウトして全身刺青のヤンキー化したり、自殺したりする子供も多発している。
(交通マナーの悪さが愛知すら抜いて全国一だったことがあったりする理由)
(以前に話してた、自殺した知り合いの子供の親も香川出身の国家公務員)
元より真言宗という宗派自体が、全宗派共通の戒律に、さらに独自の戒律を上乗せして
かかるほど厳しい宗派であり、高野山も本来は、今の東大のような全国最高学府であった。
そんなエリート養成のための宗派を、平民に至るまで総出で信仰したりすれば、
付いていけなくてドロップアウトしてしまうような人間も少なからず現れることになる。
東南アジアの上座部国なども同じように、難儀すぎる教えばかりに
総出で帰依しようとしてきたあまりに、多くのドロップアウトを招き、
挙句には日本の半グレのたまり場などにもなり果ててしまっているのである。

弄していたパワハラのような、エリート同士での切磋琢磨が
熾烈を極めるのは全く結構なことで、昔の密教寺や禅寺のように、
仮にそのせいで死傷者が出ようとも、時には自己責任扱いで済ませられるもの。
(今でも死んでもいい誓約と共に行われている千日回峰のように)
天下万民が、最低限の嗜みとしておくべきような求道などは、
全くそれとは違い、むしろ誰にでも無理なくできる範囲に特化せねばならない。
真言宗も念仏を併修しているだけでなく、昔からその他の他力本願型の
信仰形態まで整備しており、その範疇で粛粛と信仰しているような人もいるのだが、
やはり密教となれば、自力作善の求道も頑張ってみたい虫が湧きだすもので、
そういう傾向が御大師様の故郷でのスパルタ教育の蔓延などにも派生している。
すべての衆生のための求道たるや、他力本願の易行道でもいいどころではなく、
むしろそれ専門ですらなければならないとした、日本の浄土門のあり方こそは、
まさに正解そのものだったのであり、仏道がまずそのような、海抜ほぼ0メートルな
富士の起点のごとき平易さを帯びていることこそは、この国の奇跡とも言っていいのである。
下衆の争いw

なおかつその農家の仕事こそは、着実かつ絶対的に、
大いなる我慢を強いられるものであった。
商売やモノづくりはおろか、漁業あたりだって、
明治期のニシン漁や、今のクロマグロ漁やカニ漁のような
一攫千金の夢を見られる一方、手塩にかけた作物の育成に必ず何か月も
待たされて、しかもその上で凶作になるようなこともある農家の仕事は、
不可避に堪忍を強いられることにかけて右に出るものがない。
そんな仕事にいそしんでいた人々が、
さらに実践的な修行を強いられる余裕なんてちっともない。
むしろ仕事こそが修行の内であり、念仏はその荘厳であったもの。
それでもう心身両面における、人生の求道が十二分であった。
今の日本での仕事などは、機械化が進んでいる農業含め、
そこまで絶対的な堪忍を強いられるものでもなく、
むしろADHD系の人間が憂さ晴らしのためにやってたりする。
それ+念仏だけでは物足りないというのなら、
さらなる求道をももくろめばいいのには違いないが、
それが昔の農業なみの重作業であることに耐えられる現代人が、どれほどいようか?
念仏が易行だからといって、それこそがちょうどいい具合の
心の求道になっていたような人々までをも舐めてはいけないし、
そこを舐めないのなら、念仏も舐められるわけがないのである。
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スレッドタイトル:「求道か、さもなくば頽廃か」という時代2