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「求道か、さもなくば頽廃か」という時代2 偉大なる生存の報告 Part328


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001 2025/04/27(日) 11:07:30 ID:sW6BmxF.dE
ネットやSNSの普及と共に、世界中の平均知能がより下がってしまったとは、
すでにノルウェーの研究機関などが通告している現象であるけれども。
知能に限らず、近年の人類の心技体全方面における頽廃化には目に余るものがある。

ネットの普及がさような悪影響を人類に及ぼした内情はといえば、
人々が生きて行く上での求道性が何もかも削がれてしまうほどにも、
何もかもが簡便に済ませられるようになったのがそれであろうと思われる。

元来、人間という生き物はただ生活して、働いて生計を立てて行くためにだけでも、
相応な求道性が必要とされていたために、そこを十分にこなしているだけでも、
人としての十分な成長を遂げた「大人」らしくなり得たのである。

しかし、今はもうそんな所にはなんらの求道性もなく、ただ生きて行くだけなら
子供も同然の未熟さのままでも何もかもが済ませられるようになった。

ネットという文明の利器をあえて破棄して昔に戻るわけでもないままに、
これからの人類が見るに大人らしくて、諸々の能力性にも満ちた状態で
あり続けるためには、ただ生きるのではなく、そこにあえて何らかの
求道性を持ち込んで行こうとする心がけを必ず伴わせるのでなければならない。

本格の仏道修行なり武芸なりの古来の取り組みに頼るのでも、その他の新規の手段に
頼るのでも、何らかの取り組みがなければならない。そしてまずはなんといっても、
「求道」という行為全般への、過去の遺物扱いからの脱却が先決ともなる。

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041 2025/04/29(火) 21:50:53 ID:QKZdz4LCA2
うんうん、こんな仕事もできなさそうな愚図のことは忘れて、
お寺での善知識との余生を全うしてね。🥰

 
結局、一度取り付けなおした関係で、全長は約467mmに。
インディアンや軍用のトマホークも、最長級が500mmというだけで、
もう少し短いもののほうが多いぐらいだし、別に寸足らずなわけでもない。

ただ、これでも一般的な片手斧よりはだいぶ長い。
いざという時に両手斧としても使えなくはない程度の長さではある。

インディアンは馬上から振り下ろす武器としても使っていたというから、
その関係でもあるんだろうが、だったらちょっと短すぎる気もする。
まあ日本の太刀や弓の長さに慣れてるせいでそう思うんだろうが。

斧とかハンマーは極端にトップヘビーな器物だから、
太刀はおろか、打刀なみの長さでも重すぎて使用困難になる。
だからやはりちゃんとした刀のほうが、特に間合いの関係で武用面では有利。
インディアンもこれだけで白人の侵略にまでは打ち勝てなかった所以。

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042 2025/04/29(火) 23:47:10 ID:CkH1kymDDk
>>41
「とっくに答えてんだよ。」白痴が、偉そうに啖呵切ったな。
じゃあ、どこで答えた。自分の立てたスレだ。覚えているな。

 

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053 2025/04/30(水) 10:45:03 ID:dsVdctFLsI
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1745634160/5...
レス概要:日本にはナタがあるからトマホークなんかいらない。

いや事実、それはそうかもしれない。
インディアンには高品質な刃物を作る技術なんかなかったから、
刃物としての有用さよりも、たたっ切りを優先した手斧を好んだのだろうしな。

いま手入れしてる和トマホークの作者も、
「これナタのほうが不通に使えるんじゃないか?」と気づいて、
より精度を高めた作り直しなども放ったらかして、生産を取りやめたのかもしれない。

結局、「軍用を兼ねる」というのであれば、
扉の打ち破りなどナタでは務まらない役目も負えるので、
長じる面もあるわけだが、今の日本でそんな用途を売り文句にすれば、
すぐに警察に目を付けられるだろうし、それも無理があったんだろうね。

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055 2025/04/30(水) 12:18:25 ID:dsVdctFLsI
日本の伝統的な扉は、打ち壊すまでもないような民家の戸板一枚か、
こういう丸太での突進でもなければ打ち破れないような城門級かの、
ほぼ二者択一だったのをご存じない国の方?

国の治安をしかるべき人々が責任を持って守っていたために、
しこたま財物を蔵にため込んでる豪商庄屋の手合いでもない限りは、
家のカギ一つかける必要もなかったんだよ? 知らなかった?

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058 2025/04/30(水) 14:23:57 ID:DwCihcDdO.
>>55
「少しでも得意な分野絡めたら語る語るwww」(>>56
バカの面目躍如だ。

平静を装っているが、悔しくて心の中で泣いてるな。誰にも望まれていないのに
向きになって台湾に2度目のレスまでして。本当にバカが。

「とっくに答えてんだよ。」どこで答えた?兵法や仏道を語る大先生が涙目で
逃げ回っていては、己の生き方と矛盾しないか?

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059 2025/04/30(水) 14:40:51 ID:aOEv3KEGuo
めんどくせえなぁこのスレ 撤〜退〜

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060 2025/04/30(水) 18:41:15 ID:MFqea9/UtQ
まるで気の合う人と話しているかのように「だろうね」って。
虚しくならないのかしら。

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070 2025/05/01(木) 09:41:46 ID:RSaaCtv9m6
スレの主題に沿った話にまた戻ろうか。

そもそもが、これを認知しておかなければお話にもならないというほどの大前提として、
「東アジアの仏僧というのは全員が全員、儒者を兼ねていた」というのがある。

日本史上最高の名僧である弘法大師空海もまた、出家前に大学などで四書五経を学んでおり、
その知見の深さを「三教指帰」や「十住心論」のような自著の中でも披露している。

仏僧というのは、そもそもが世俗の学問にかけて「無学(もう学ぶことがない)」の域で
あることが大前提として要求されるものであるために(「八宗綱要」などを参照)、
東アジアにおける、俗世の範疇での最たる正学である儒学なども必ず一通り学んでいた。

ゆえに、大乗の仏僧は宗教家であると同時に必ず学者や教員でもあり、
無戒律で修行なんかしない念仏の坊主でも、寺子屋で論語を
子供に教えられる程度の教養は当然のこととしてあった。

なおかつその論語を筆頭とする儒学の教養自体が、洋学なぞとは違って、
最初等からの「心の求道」の体系ともなっているために、そこへの嗜みがある時点で、
多少なりとも求道者でもあった。そこが、儒学がないからこそ仏教に何もかも頼りきりな
東南アジア諸国などとは決定的に異なっていた部分だともいえよう。

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071 2025/05/01(木) 10:52:48 ID:tEoww8KvDM
>>70
「スレの主題に沿った話にまた戻ろうか。」
よし、偉いぞ。では、まず前提を確認しようか。

  006 ゼプチシャン 2025/04/27(日) 11:24:36 ID:8k2ZspWob2
  奇違い地蔵、まずけじめをつけてから続きをやりなさい。仏道というの
  は仏教のことだ。しかし、仏教にも様々な宗派がある。実践を通じて釈
  迦の教えを追体験しようとする東南アジアの仏教(いわゆる小乗仏教、
  または上座部仏教)、中国人が捏造したカルト仏教(いわゆる大乗仏教)。
  カルトである大乗仏教の中にも念仏あり法華あり座禅ありで、その内容
  はまるで違う。まず、お前の言う仏道はいずれを指す?内容が何であれ、
  修業しさえすれば良いと言うものではないことくらい、白痴のお前でも
  分かるだろう。オウム真理教の信者でさえ懸命に修行に取り組んでいた。

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074 2025/05/01(木) 11:51:35 ID:tEoww8KvDM
儒教と言うのは、もともと昔の中国人の間に伝えられた処世術や人生哲学を孔子の教えとして
弟子たちがまとめたものだ。その後、様々な人物により様々な内容が付加され、人生訓あり、
国家経営学あり、歴史書あり、礼法あり、詩文ありの膨大な書物が編纂された。それらをまと
めて四書五経という。中国では特に礼法を重視するあまり、政治が形式主義に陥り、国家の近
代化を阻害する一大要因となった。日本では中国ほど儒教の受容が徹底されなかったので、国
家の害悪となるところまでには至らず、江戸時代には単に礼儀作法、人生訓、詩文のお手本と
して武士階級から庶民に至るまで広く学ばれた。

言うまでもないが、儒教と仏教の間には何の関係もない。
「東アジアの仏僧というのは全員が全員、儒者を兼ねていた」
奇違い。

で、本題に戻って、これだ。(>>71

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076 2025/05/01(木) 12:48:27 ID:RSaaCtv9m6
話し合う価値もないのが出しゃばってくるんで、
(理由:https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1745894921...
また別の話にするか。

 
柄木をオイルステインで黒染めしたうえで、前以上に
櫃穴との接合部位をエポキシ樹脂でしっかりコーティング。

通常的なアウトドア作業などのためにここまでする必要はなかれど、
雨風泥沼もあえて避けない軍用などを考慮に入れれば、しとくに越したことはない。

末端の兵員などに限らず、トップを張る将帥といえども、
「自分だけが雨除けを準備するような真似をするな」(三略)と。

これは、わが祖父もまた士官学校在学中にメモってた部位であるが。
これも本当に兵士たちと命運を共にする心がけの表れとする場合と、
兵士を鼓舞して思いのままに操るための手管として利用するだけな場合で、
まったくその結果に違いが生じてくるもの。前者が正解で後者は不正解であるのが、
将校だけ逃げ帰るようなことも多かった旧日本軍の敗戦などからも知れるもの。

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078 2025/05/01(木) 13:09:12 ID:tEoww8KvDM
>>76
また別の話にするか!!あらら、せっかく褒めてやったのに。
また敵前逃亡、涙目か?


  374 笠地蔵 2025/04/26(土) 09:51:04 ID:31aCfJkNts
  おまえはもう、これを開き直ってる時点で、
  人の話を聞かない人種であるのが明確に判明してもいる。

  元から人の話を聞く能力が低いが、
  さらにそんな自分を開き直って、
  明らかな過ちを指摘されても聞き入れないような真似も辞さない、と。

  これを以て、話をする価値がない相手であることが確定したわけだ。
  これはMみたいなほかの俺アンチですら認めざるを得ないことだろう。

  そういうわけでもうさようなら。               ☜ 何とも弱々しげ。
  健常な万人が承認する正当性と共に、もう相手はしません。   ☜ この辺り、泣きながら書いたな。

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079 2025/05/01(木) 13:30:36 ID:RSaaCtv9m6
「自滅する上官はゴミ」

それはもう、まさにその通りで、
自分こそが自滅を招くような上官は、
なんなら兵士たちにも先駆けて腹を切るべきなぐらいだな。

実際には、そんな連中ほど兵士を捨て駒として使い潰したがり、
形成が悪くなれば、まず自分から逃げる準備を整えたりするわけだが。

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080 2025/05/01(木) 13:36:53 ID:tEoww8KvDM
>>79
逃げ回ることが兵法の極意なのか?逃げるだけでは敵を倒すことも出来なければ、
道を究めることも出来ないぞ。余りに無様過ぎないか?それじゃあ自慢の士官学
校の爺ちゃんに顔向け出来んだろう。

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082 2025/05/01(木) 13:55:50 ID:RSaaCtv9m6
おまえは、俺の言うことを何もかも頭ごなしに否定して、
それで終わりなだけの存在だろうが。このように事実誤認すら厭うことなく。

そういう人間はそういう人間というだけで、もう話し合うことは何もない。
非理を論ずる域にないのが確定しているのだから、後は言語道断あるのみ。

さりとて、その発言自体を許さず、実力行使を以て禁止、処罰してかかるとかなれば、
それは北の将軍様まなどとも同レベルな言論統制になり果てるだけだし、自分自身が
言論の自由を享受し続けている身の上からも、そんな事態もまた願わぬもの。

おまえは俺の発言をすべて否定し、だからといって俺は何も自分の意見を変えず、
これが正しいと思った考えをここで発表し続ける。勝ってはいないが負けてもいない、
攻めてもいないが逃げてもいない、戦いにもなっていない状態での平行線が続くのみだ。

決着はただ、自分の考えが正しいからうまくいった、
間違ってるからうまくいかなかった、という現実の末路に集約されるのみである。

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083 2025/05/01(木) 14:03:15 ID:tEoww8KvDM
>>79
何度も言うが、脳の病気は仕方がない。医者に相談するしかない。お前が叱られる
理由は他にある。口から出まかせの嘘八百をまき散らかしていることだ。

  「東アジアの仏僧というのは全員が全員、儒者を兼ねていた」

  ☞ AI による概要
   日本の国旗「日の丸」は、1870年(明治3年)1月27日に正式に国旗として制定されました。それ以前の1855年(安政2年)
   には、薩摩藩の船「昇平丸」が江戸・品川に入港した際に、初めて日本の船印として日の丸が掲げられました。
  ☞ Wikipedia
   ●薩摩藩主・島津斉彬提唱説
   ●幕閣・徳川斉昭提唱説
   ●その他
   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%...


もうひとつ、自分の発言に責任を持たないことだ。

  「とっくに答えてんだよ。」じゃあ、いつ答えたんだ。?

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084 2025/05/01(木) 14:17:58 ID:tEoww8KvDM
>>82
どこに答えがある?

  006 ゼプチシャン 2025/04/27(日) 11:24:36 ID:8k2ZspWob2
  奇違い地蔵、まずけじめをつけてから続きをやりなさい。仏道というの
  は仏教のことだ。しかし、仏教にも様々な宗派がある。実践を通じて釈
  迦の教えを追体験しようとする東南アジアの仏教(いわゆる小乗仏教、
  または上座部仏教)、中国人が捏造したカルト仏教(いわゆる大乗仏教)。
  カルトである大乗仏教の中にも念仏あり法華あり座禅ありで、その内容
  はまるで違う。まず、お前の言う仏道はいずれを指す?内容が何であれ、
  修業しさえすれば良いと言うものではないことくらい、白痴のお前でも
  分かるだろう。オウム真理教の信者でさえ懸命に修行に取り組んでいた。

返信する

085 2025/05/01(木) 14:23:00 ID:RSaaCtv9m6
ここの管理人も熱心な尊皇主義者で、
反天皇的なレスやスレを強制削除してかかることがしばしばあるが、
今のところ反天皇を明言しているおまえを出禁にもしていない。

ここは、あくまで自由な言論を原則とする場であると、結果的に管理人も
認めていることだし、そこに間借りしているわれらがそこに逆らうべきでもない。

相反する複数の意見が併存して平行線をたどり続けようとも、
それもまたここという場所のごく標準的な在り方にすぎず、
併存し続けている以上は、そこに勝ち負けも攻め逃げもありはしない。

オフラインでどちらかの意見の持ち主が窮死でもしない限りは、決着はない。
ある意味では、ちゃんとディベートの場としての体裁が整えられている場合以上に、
残酷な仕打ちであるといえるが、そこに興じる以上はそれ相応の覚悟を持ってもらおう。

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086 2025/05/01(木) 17:03:06 ID:tEoww8KvDM
>>85
それも涙目の言い逃れ兵法か?相反するもクソもない。前提を確認しているだけだ。白痴。

  006 ゼプチシャン 2025/04/27(日) 11:24:36 ID:8k2ZspWob2
  奇違い地蔵、まずけじめをつけてから続きをやりなさい。仏道というの
  は仏教のことだ。しかし、仏教にも様々な宗派がある。実践を通じて釈
  迦の教えを追体験しようとする東南アジアの仏教(いわゆる小乗仏教、
  または上座部仏教)、中国人が捏造したカルト仏教(いわゆる大乗仏教)。
  カルトである大乗仏教の中にも念仏あり法華あり座禅ありで、その内容
  はまるで違う。まず、お前の言う仏道はいずれを指す?内容が何であれ、
  修業しさえすれば良いと言うものではないことくらい、白痴のお前でも
  分かるだろう。オウム真理教の信者でさえ懸命に修行に取り組んでいた。

返信する

089 2025/05/01(木) 21:48:43 ID:RSaaCtv9m6
釣り竿などによく巻かれる、熱収縮ゴムのグリップを装着。

Φ30mm×50cmをほぼ使い切り。
首元のあたりも、木を削ったりする用途のためには持つことがあるし、
このあたりが先細りになってるんで、熱収縮後はグリップが
使用中にすっぽ抜けることはおろか、多少ズレることもない。

あまり必要もないこととはいえ、槌側の口(打撃面)も研ぎあげ。
この部分の仕上げが甘くて、ちょっと欠けてたりもしてたからその丸め込みも兼ねて。
見た目的にも斧側の研ぎ面と対になるんでまあまあ好ましい。

塗装やエポキシコーティングの乾燥のために、
頭のクビレ部分にビニタイを巻いて吊ったりしてたわけだが、
ここをもう少しうまく使えないかなとは思う。
柄頭側に穴開けて吊り下げたりするよりは、
こちらを上にしたほうがブラブラしない利点もあるだろうしな。

ーーしっかし、われながらくだらない話してんな。
  不毛な言い争いなどよりはよほどマシであるにしろ。

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104 2025/05/02(金) 09:37:18 ID:bi6pFI4zXI
柄頭にできる、この熱収縮グリップの猫耳!🐈

これを切り取ったりとかしないほうがいいのも、
木刀への同じグリップの巻き付け実験や、真剣の拵の作り込みからも認知済み。

結局、稽古用の木刀に滑り止めを巻いたりするのは、
鍛錬上の甘やかしにしかならないと察してやめたがな。

足元も、わざと一番頼りなくて動きづらい部類の雪駄等を履いて稽古したり。
練習の範疇ではそうやって、あえてハンデを付けてかかったりするも、
実用に際しては、柄の滑り止めでも御足元の具えでもなんでも、
できる限り最善を尽くしておくというのが、日本古来の武者のあり方でもある。

これまた「衣服を悪しくして、美を黻冕に致す」(泰伯第八・二一)
という、最初等の求道にかけての、聖書の教えにも通じるあり方であるものよ。

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107 2025/05/02(金) 10:58:36 ID:bi6pFI4zXI
いやもう遠い昔に、ゴム巻いた木刀の画像上げてただろ。

両面テープかませたり接着剤塗ったり色々してたけど、あれこそいらんということよ。
ほかにゴム手袋はめてのヨガとかもしてたことがあったが、あれもいかん。
神経系の閉塞で手の甲が湿疹になったりもしたもんだ。
まあどちらも何年もやってみてわかったことだがな。🤗

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109 2025/05/02(金) 11:10:27 ID:I5x0HKytcw
ほらよ……

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110 2025/05/02(金) 11:13:19 ID:I5x0HKytcw
ほらよ地蔵愛用の短刀
刺されるぞ

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117 2025/05/02(金) 17:17:23 ID:bi6pFI4zXI
>>113
信じる力をはぐくむーーとても大切なことだね。🤭
それがなければ人間たるもの、何も真面目に信じることなんかできず、
ふんぞり返って信じてやるよwwwなんていう奴らにこそ
甘い言葉で取り入って行く、カルトの格好の餌食にもなってしまう。😱

そんな連中を味方に付けても、
カルトでない者すらカルトのように振舞わねばならなくなり、
いずれは自らもまたカルトの一員と化してしまうもの。
そんな、最原初のところからの過ちこそを最も警戒しておかねばな。🤤

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138 2025/05/03(土) 09:09:08 ID:GmUtCPzGDc
>>118
「信じてやるよwww」っていうのは、おまえみたいな奴のことだぞ?

メンズピアスにスキニーパンツに、ジャニタレみたいな骨盤後傾で、
懐いた犬のように服従してくる男を「じゃあ付き合ってやるよwww」などと
認めてやる女並みに、信じる相手を手前勝手に選り好みする奴、という意味。9m

たしかに、そういう奴らの「信じてやるよ」こそを最も警戒せねばなぁ。( ー̀ωー́)⁾⁾ウンウン

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139 2025/05/03(土) 09:20:15 ID:GmUtCPzGDc
>>70の続き)
もちろん、仏門の観点からすれば、
儒学はより程度の低い格下の教えとしたものだから、仏僧たる以上、
さらにそこから仏道に即した求道にも勤しむに越したことはないのだが。

儒学や玄学(老荘の教え)の範疇にすら、人が規範とすべき教えは多くみられる上に、
在俗の人間が直接的に修めるべき教養としての優先度はより高い。
ゆえに俗人の教導や、俗世での実践にかけては、むしろそちらが主体となる。

かといって、「だったらもう仏僧である意味がないだろ」なんてことも決してなく、
儒学はそれ自体を宗教化=儒教化して信仰対象にまでしようものなら、
近世以降の中朝のごとき腐敗をも招きかねないことがすでに知れているもので、
なればこそ信仰はあくまで仏を本位とし、孔孟老荘の教えなどはあくまで純粋な学説
として受容するというのが、特に近世までの日本で成功して来た精神文化体系だといえる。

「行いて余力あらば、則ち以て文を学ぶべし」(学而第一・六)
と儒学の範囲でも説かれているものだが、仏僧もまた儒や玄の修養、
実践ぐらいは当然のこととして務まったうえで、さらにそこから仏の域に達すべし、と。
「君子は本を務む、本立ちて道生ず」(学而第一・二)をねんごろに重んじていた
そのあり様こそは、求道を志す者が最たる模範とすべき姿であるのにも違いない。

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